高身長による学生時代のコンプレックスやトラウマ
私は小学生ですでに158㎝ありました。
まず、背が高いのが嫌だと思い始めたのは、五歳のころです。既に保育園で「いつも一番後ろに並んでいること」がなんとなく嫌だなと思っていました。
いま思えば、園児が多少大きかろうが、大人からみたらほぼ一緒だと思うのですが。。。
私自身が今大きな子供をみても、普通にかわいいなって思いますしね。
しかし、園児だっだ私の「自意識」としては、人より大きいからには、人より大人ということ。だから小さい子よりもミスはできないという責任感のような心境がありました。
それは、慎重順で一番後ろに並んでいると、大体なんでも最後にやることになるからです。園児の時は比較的大きい子のほうが運動能力が長けていたりすることが多いので、子供たちの空気感として一番大きい子は"大トリ"のような暗黙値があったからです。
そのため、子供のころから、自分の順番までに頭をフル回転させて、イメージトレーニングをしていましたw失敗しないためにです。
しかし、
本格的に背の高さがいやになったのは、
小学校高学年です。
冒頭の通り、158㎝。
すでに胸も大きく、肩幅も大きく、
髪を伸ばしていたのですが
後ろからみると誰も小学生だと思いませんでした。
男子も含めたクラス全体の中で1番か2番の身長でした。
小学生らしい、ランドセルや水着や体操服が似合わず、身につけるのが嫌でたまらなかったのを覚えています。
細身だったのですが、なんかガッチリしていて色も黒くて。
友達のお母さんやお父さんが、悪気なく
「体格いいなぁ!」
「貫禄やなぁ!」
「体格に恵まれてるし、柔道やったらどう?」
とか声かけてくるのが死ぬほどいやでしたね・・・。
また、その時に「どの人に何を言われたか」未だに覚えているんです。よっぽど嫌だったんでしょうね(´д`|||)
158㎝の小学生。
もうのびないだろうと親も思っていたようで、「じきにまわりが追い付いてくるよ」と慰め半分で言っており、私もそれを信じていました。
が、中学生になり、
中1で165㎝
中2で170㎝
ぐんぐん伸びましたw
この頃は夜寝ていると身長がのびるのがわかりました。
パキパキ骨が鳴るのです。骨の成長に肉がついてこなくて、骨が中で曲がっているから、伸びをするとパキパキと小さい音とともに身長がのびる。特に、ひょろりと手足が伸びていきました。
身長が伸びるのは嫌だけど、この「伸び」をする瞬間って、本当に気持ちいいんですよ・・。骨が自然と伸びをさせている、そんな感じです。
やっと170で身長は止まり、
現在に至ります。
中学では、高身長女子にとって最大の心がおれる行事
男女ペアのフォークダンス
を通らねばなりませんでした。
中1って、男子はまだ小さいんですよね。140㎝代の子もまだまだいて。
私は、完全に保護者か先生状態です!
そして、でか女とか電柱とか呼ばれ始めるのもこの頃。。。思春期って残酷ですね。
中学時代は、過剰に道化を演じ、自虐的なことを言っては笑わせ人気者でしたが、
無理していたのでしんどかったです。
それがいやになった高校時代は、おとなしく静かに過ごし、注目されないようにしてきました。それでも節々で傷つく出来事はありました。男子がうわさで「付き合える人ランキング」を言っている時に、私と複数名の名前を出し、「もはやこの辺は、母数にはいってるとすら思ってなかったわwww」と言われたりと。。
この頃救いになったのは、
・服を選ぶことで少し容姿がましにみえることに気づいた(かわいい系は捨ててかっこいい系に徹した)
・ほんの数名ですが、同じくらいの身長の女子がでてきた
・運動神経が超絶悪かったが、幅飛びやバスケなど体育の授業で多少活躍でき、それは他でもなく身長のおかげだった。
・叔母さんが「世間にいったら180センチの人も山のようにおる。」と事あるごとに、外の世界に希望をもたせてくれた。
こういったことにうっすら勇気づけながら、折れることなく、大人になっていきました。
長らくコンプレックスは続き、それなりに辛いこともあったのですが、
不思議と18歳の時、大学と同時に独り暮らしをはじめて、身長のことがいつの間にか気にならなくなっていったのです。
その理由は、大学&独り暮らしで、
これまでと比較して、大幅に接する世界が広くなったことです。
所属する場所が多くなり、
接する人間の幅が広がり、
接する層が段々と大人になっていき、
会話する種類が増え、
体験する種類が増え、
それに比例して、楽になっていきました。
叔母の言うようにたしかに背の高い人もいたし(山ほどではなかったけど。。)
背の高い人が好きな人もいたし、
背の高さという着眼点にフォーカスせず、全く重要視していない人たちもいました。
大人になると、
背が高い私、だけでキャラクター化せずに、「私のいろんな面を総合的にみてくれる人」がとっても多いということにも気がつきました。
だから私は思います。
学生時代のいじめや失敗体験で引きこもっている人には、是非一度、まだ見てない世界を見てほしいのです。
もちろん私のコンプレックスと比較にならないくらいの辛い思いをされている方も多く、簡単なことではないというのはわかります。
トラウマがある方、フラッシュバックがおきる方、など、気持ちは頑張ろうとしても体や脳がついてこないこともあると思います。
こんなことくらいでと思われるかもしれませんが、私自身にも小さなフラッシュバックが時々あるのです。
どんなシーンかというと、過去にクラス対抗大なわとびで私の前にいた子1人だけ足がひっかかったときに、クラスの人達から私だと勘違いされ「同じチームになるといやなんだよね!」「でかいのにスポーツできないってダブルでマイナスだから」と言われたシーン。それが、時々すごく鮮明に思い出されて、自宅ではワーッ!って声が出てることがあります・・
頻度は多くありませんが、なぜかこのシーンが出てくる。
小柄な女性と接するのは、ほんのつい最近まで怖かったし、人と会うと「心の中では、でかい女とか思ってるんだろうなあ」とネガティブになっていました。
でも、そういう、これまでの体験やその記憶は、ゼロにはならないけど、うまく付き合っていけるようになりました。
それこそ、
今では、この経験なしに今の私はないとも思いますし、
高身長じゃないと私じゃない!とまで思えます。
もちろん、自分の容姿がいいと思えてるわけでもないし、小柄な人を羨ましく思ったり、似合わない服が多すぎて落ち込んだり、大人になっても時々すれ違う見知らぬ人にディスられたりもするのですが・・(大体は学生ですね、やはりそういうこと言うのは、未熟な時だけなんです)。
だけど、
その一つを気にするほどのことでもない。
私には他にもたくさんの「構成要素」がある。
その要素はこれからも新設できる。
私もまた、知らないうちに人を差別したり、悲しませている。
自分は「被害者」だけではない。
私は、私のすべてをただ受け入れて、やっていこう。
そう思えるようになりました。
それは、決意して急にできたのではなくて、
グラデーションのようにだんだんと
嫌な出来事が減っていったんです。
いや、正確には、嫌な出来事がへったのではありません。
自分にとって良い出来事が起こる場所をいくつか見つけられたことで、自ずと嫌な出来事への遭遇率が減ったのです。
また、そういう世界があると知ったことで、物事の受け止め方が悲観的でなくなり、
嫌な出来事にあっても「この人たちは、今そう感じたんだな」という事実だけしか感じなくなりました。
心が変化すると、勇気ややる気が出て来て、
色んなことにチャレンジするようになりました。チャレンジによって、スキルが身に付くようになり、仕事や勉強やスポーツやコミュニケーションが楽しめるようになりました。
この変化によって、身長以外の他の嫌なことも同じように受け止め、プラスにつかっていけるようになりました。
そのまま参考になるほど人の人生は単純ではありませんが、
少しでもいつか誰かのところに届けばと思い、記載しておきました!!